ありそうでない確かなしあわせ
バンガロール(インド)での1枚。
聞くと毎朝この店に来て、3種のドーサ(豆のクレープ)を注文し、
それぞれ好きなのを1種食べ、残りの1種をシェアして食べるという。
日本以外のアジア諸国では、朝食は外食であることが多い。
その土地ならではの朝食文化があり、それはその土地に暮らす人にとってあたりまえの習慣なんだろう。
日本では、外で朝食を食べることは非日常で、特別なことが多い。
炊き立てのご飯だったり、特別な卵がけご飯だったり、ひと昔前の日常が、特別化した体験としてウケている。
こちらは、友達同士。早朝、仕事前にこうして集まって一緒に朝食を食べるとのこと。
彼らの日常は、彼らにとってはとても普遍的で、特別なものではないけれど、
僕からしてみると実に豊かで、特別なことに見えた。
逆に、彼らから見た、日本の特別な非日常な朝食はどうみえるだろう。
どちらも作る手間を他者に預け、それに対価を払う。構造が似てるようでまったく違う。
3枚の写真は、夫婦、友人、同僚とそれぞれ関係性は違うけど、
そういう関係の人と朝ごはんを食べられるということに確かなしあわせを感じた。
日本で朝ごはんをともにすることは、誰にも会いたくない顔の側にいられる関係というか、かなりの特別な関係。
そんな日常は、あたりまえに浸かった日々ではなかなか見えないのか。
#ありそうでない確かなしあわせ