新月の海
先日、偶然出会った不思議な雰囲気の女性から、塩焚きのお誘いがあり材木座海岸まで行ってきた。
今やスーパーへ行けば当たり前に置いてあり、お手軽に数百円で購入でき、常に各ご家庭に置いてあるであろう調味料、【お塩】
しかし歴史も古く、私たち人間の体に不可欠なものでもある。
そんな不可欠なものが、簡単に手に入り基本的に常備されていることに、なんとなく違和感があった。「そんなに当たり前であって良い物なのか?」
作られる過程を見てみたいと思った。
材木座の漁師小屋に着いた。
初めましての人間が来て特別な大歓迎がある訳もなく、かと言って「誰だこいつは…」みたいなアウェー感もない。「まあ、やっていきなよ。」といった感じで、ゆるい地元の居酒屋さんの様な、不思議な雰囲気。
汲んできた海水を釜に入れ、ごうごうと燃える火に夜通しかける。木のへらで時折混ぜながら、男の人たちが薪をくべ、火を絶やさないように朝まで見続ける。そうしてある程度煮立ったら、布で濾しながら隣の釜へ移してゆく。これを繰り返し、繰り返し行っていく。
とても時間と人の力が必要な作業だ。
だけど、代わり替わり出来る人や、やりたい人がやって良いらしく
のんびりしたい人はお餅や豚汁でも食べながら焚火や塩を濾す様子を見たり、それぞれ思い思いの時間を過ごしている。
もちろん、火や釜に気を配りながら。
ああ、これで良いんだな。なんて気持ちになった。
この方法は、大量に早く作れるわけではないけど、少なくとも作り手には「本当の物を自分たちで作り、自分の体に必要な分を頂きましょうよ。」といった気持ちがある。
そこには無理やりな義務感ではなく【思い】がある。
自分のやりたいこと
本当に作りたいもの
いま出来る事を、出来る人がやる。
誰かに押し付ける事なく、大切なものを紡いでいく思い。
何もかもが早く過ぎ去っていくこの時代に【本当に良いものとは】を問いかけてくれる不思議で懐かしい体験だった。
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